ラヴ上等を、観るべきじゃない夜に観てしまった
🌘 その夜、僕はもう余力がなかった
正直に書く。
あの夜の僕は、
もう何かを受け取れる状態じゃなかった。
仕事が長引いたとか、
誰かと揉めたとか、
そういう分かりやすい理由じゃない。
ただ、ずっと気を張っていた。
それだけだ。
帰宅して、シャワーを浴びて、
ソファに座ったとき、
身体の奥に、空っぽの感じが残っていた。
癒しが欲しかった。
でも、明るい作品を選ぶ気力もなかった。
そのとき、
Netflixの画面に出てきたのが、
『ラヴ上等』だった。
🌫 「今日は違う」と、どこかで分かっていた
再生ボタンを押す前から、
分かっていた気がする。
今日は、これを観る夜じゃない。
タイトルが強すぎる。
雰囲気も、軽くない。
きっと、心に来る。
でも、
その「分かっている感じ」を、
僕は無視した。
理由は単純で、
何も感じないまま眠るのが怖かったからだ。
少しぐらい、しんどくてもいい。
何かが引っかかってくれたほうがいい。
そう思って、
再生を押してしまった。
いま思えば、これは判断じゃない。
ただの賭けだった。
「感じられる自分」でいたい、という賭け。
⏳ 途中から、しんどさの質が変わった
最初のうちは、
いつもの『ラヴ上等』だった。
荒い言葉。
詰める空気。
視線がぶつかる瞬間。
でも、30分も経たないうちに、
違和感が出てきた。
胸が苦しい。
息が浅い。
姿勢を変えても、落ち着かない。
これは、
「面白いからしんどい」じゃない。
余力がないところに、
感情を流し込まれている感覚だった。
止めようと思えば、止められた。
実際、何度もリモコンに手を伸ばした。
でも、止めなかった。
🛑 止めるチャンスは、何度もあった
正直に言うと、
止めるタイミングは、何度もあった。
画面を閉じる理由なんて、
いくらでも見つかった。
「今日は疲れている」
「また今度でいい」
「続きは明日にしよう」
どれも正しい。
どれも、ちゃんとした理由だ。
それでも僕は、
そのたびに再生を続けた。
止めた瞬間、
自分が「逃げた側」になる気がしたからだ。
向き合えなかった自分を、
自分で否定してしまいそうだった。
だから、
夜を終わらせる勇気より、
耐えるほうを選んでしまった。
🌑 なぜ止められなかったのか
今なら分かる。
あの夜の僕は、
作品を観ていたんじゃない。
「まだ何かを感じられる自分かどうか」を、
確認していたんだと思う。
しんどい。
苦しい。
目を逸らしたい。
それでも、
何も感じないよりはマシだと、
どこかで思っていた。
『ラヴ上等』は、
その弱い部分に、容赦なく触れてくる。
だから、効きすぎた。
🪞 僕は、向き合っている“つもり”で逃げていた
あとから思い返すと、
あの夜の僕は、
ちゃんと向き合っている自分でいたかっただけだった。
しんどい作品から目を逸らさない。
荒い感情から逃げない。
簡単に癒しに流れない。
そういう態度を取れる自分を、
どこかで誇りに思っていた。
でもそれは、
本当に向き合っていたんじゃない。
向き合える人間だと思いたい自分を、
必死で守っていただけだった。
耐えている自分を肯定することで、
「今日は無理だ」と言えない弱さを、
ごまかしていた。
あの夜、
僕が逃げていたのは作品じゃない。
自分の限界を認めることだった。
🔥 この番組が刺さった理由は、彼らじゃない
正直に言うと、
あの夜の僕は、
参加者たちの言動そのものに、
そこまで怒っていたわけじゃない。
刺さったのは、
彼らの荒さじゃない。
自分も、似たようなやり方で
感情を扱ってきたかもしれないという感覚だった。
言い方が強くなる。
距離を詰めすぎる。
引くタイミングを間違える。
それを「性格」や「相性」で片づけて、
本当は、
怖さや不器用さから来ていたことを、
ちゃんと見てこなかった。
『ラヴ上等』は、
その未処理の部分に、
無言で触れてくる。
余力のない夜にそれをやられると、
心は防御じゃなく、
消耗に回ってしまう。
🌘 観終わったあと、夜は回復しなかった
最後まで観た。
でも、
カタルシスはなかった。
納得も、整理も、
訪れなかった。
ただ、
疲労だけが、はっきり残った。
ベッドに入っても、
眠りは浅かった。
夢の内容は覚えていないのに、
起きたとき、
まだ胸のあたりが重かった。
🌒 この夜が残した、いちばん厄介なもの
あの夜が厄介だったのは、
単に疲れたからじゃない。
もっと困ったのは、
自分の感覚を、少し信用できなくなったことだ。
「これくらい、耐えられるだろう」
「まだ大丈夫なはずだ」
そうやって、
自分の限界を、
自分で押し広げてしまった感覚が残った。
作品に向き合ったつもりで、
実は、自分を後回しにしていた。
そのズレは、
翌朝になっても、
小さな違和感として残り続けた。
🌤 翌朝、ようやく分かったこと
翌朝になって、
ようやく言葉にできた。
あの夜の僕は、
「向き合える状態」じゃなかった。
作品が悪いんじゃない。
『ラヴ上等』が乱暴だったわけでもない。
ただ、
自分の感情の器が、
空っぽすぎた。
それだけだ。
観るべきじゃない夜がある、というより、
「受け取れない夜」がある。
あの失敗で、それを身体で覚えた。
🌌 夜を選ぶって、こんなに難しかったっけ
あの失敗以来、
僕は夜の過ごし方を、
少しだけ疑うようになった。
疲れている夜ほど、
強い刺激を入れたくなる。
何も感じないのが怖くて、
あえて重いものを選んでしまう。
それって本当に、
向き合っているんだろうか。
それとも、
感じない自分になることへの、
焦りなんだろうか。
『ラヴ上等』を観て失敗した夜は、
僕にその問いを残した。
夜は、
頑張るための時間じゃない。
でも、
雑に扱っていい時間でもない。
だからこそ、
夜を選ぶって、
思っていたよりずっと難しい。
🌙 まとめ──これは注意喚起じゃない。告白だ
この記事は、
誰かに判断を促すためのものじゃない。
『ラヴ上等』を観るな、
なんて言うつもりもない。
ただ、
僕は一度、夜を読み間違えた。
それだけの話だ。
もし、
今日のあなたが同じ匂いを感じたなら、
その感覚を、少しだけ信じてほしい。
観ない選択も、
立派な向き合い方だ。
── 黒川 煌
📚 情報ソース・免責
本記事は、Netflix配信番組『ラヴ上等』を鑑賞した筆者の体験に基づいて執筆しています。
作品の評価や解釈は個人の感じ方によって異なります。
本記事は特定の視聴判断を推奨・否定するものではありません。



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