なぜ今、ラヴ上等が流行ってしまったのか──正しくなりすぎた夜の話
🌘 最近、夜が静かすぎないか
最近の夜は、静かだ。
大きな事件も起きない。
人間関係のトラブルも、極端には荒れない。
仕事も、恋愛も、なんとなく回っている。
それなのに、
夜になると、
理由のない物足りなさだけが残る。
スマホを触っても、
動画を流しても、
何かを消費している感覚ばかりで、
感情が動いた手応えがない。
ラヴ上等が流行った背景には、
まずこの「静かすぎる夜」がある。
🌫 なぜ『ラヴ上等』は、あんなにも乱暴に見えるのか
『ラヴ上等』を観た人の多くが、
最初に抱く感想は、だいたい同じだ。
「怖い」
「言い方がきつい」
「距離の詰め方が異常」
でも、少し冷静に見ると、
彼らがしているのは、
殴り合いでも、暴力でもない。
感情を隠さないこと。
言葉を濁さないこと。
引き際を決めないこと。
それらが、
今の空気に対して、
あまりにも無防備に映るだけだ。
乱暴なのは、彼らじゃない。
僕らの感覚のほうが、ずっと繊細になっている。
🧊 正しさで守られた恋愛の副作用
いまの恋愛は、とても安全だ。
無理をしない。
踏み込みすぎない。
違和感があれば、距離を取る。
それは成熟だし、
必要な進化でもある。
でも、その安全さの裏側で、
別のものが削れていった。
感情がぶつかる音。
関係が揺れる手触り。
あとから思い返してしまう夜。
何も壊れない代わりに、
何も残らない夜が増えた。
ラヴ上等がしんどいのは、
その「失われた部分」を、
無理やり思い出させるからだ。
僕らはもう、傷つく恋に戻りたいわけじゃない。
ただ、何も残らない夜に、少しだけ耐えられなくなった。
🧠 正しさは、夜をどう変えたのか
正しさは、
僕らの生活を確実に楽にしてくれた。
言葉を選ぶ。
相手を尊重する。
無理をさせない。
どれも間違っていない。
でも、夜という時間に限って言えば、
その正しさは、
感情の出入り口を少しずつ狭めていった。
言っていいことと、
言わないほうがいいことの線引き。
踏み込んでいい距離と、
引くべき距離の判断。
それらを一晩のうちに、
何度も何度も計算する。
結果、夜は安全になった。
でも同時に、
記憶に残らない時間にもなった。
ラヴ上等がしんどいのは、
この「計算された夜」を、
一度、無効にしてくるからだ。
📺 なぜNetflixでなければ成立しなかったのか
もしこれが、
地上波のゴールデンタイムだったらどうだろう。
視聴者は、
すぐに立場を決め、
誰かを裁き、
チャンネルを変えていただろう。
Netflixは違う。
ひとりで観る。
評価されない。
途中で止めても、誰にも知られない。
揺れたまま、放置していい場所だ。
ラヴ上等は、
この「放置できる夜」がなければ、
成立しなかった。
答えを出さなくていい。
正しい感想を持たなくていい。
ただ、揺れたままでいられる。
その条件が揃った場所が、
Netflixだった。
🔥 嫌悪と共感が、同時に起きる理由
ラヴ上等を観ていると、
不思議なことが起きる。
「無理だ」と思う。
「分かりたくない」と感じる。
それなのに、目を逸らせない。
これは矛盾じゃない。
感情が、まだ生きている証拠だ。
本当に何も感じなくなったら、
嫌悪すら起きない。
ラヴ上等は、
その「まだ残っている感覚」を、
雑に、荒く、揺さぶってくる。
だから、流行った。
⚖️ 僕らは刺激を求めているわけじゃない
よくある説明がある。
「刺激が足りないから、
強い番組が流行るんだ」
でも、それは少し違う。
刺激なら、
もっと分かりやすいものが、
いくらでもある。
ラヴ上等が選ばれたのは、
刺激ではなく“確認”だったからだ。
まだ怒れるか。
まだ嫌悪できるか。
まだ心が反応するか。
その確認を、
静かな夜に、
ひとりでやりたかった。
だからこれは、
過激さの流行じゃない。
感情が死んでいないかどうかを、
確かめる行為の流行だ。
🌒 ラヴ上等は「原因」じゃなく「症状」だ
この番組が流行ったから、
恋愛が荒れているわけじゃない。
逆だ。
荒れなくなりすぎた結果として、
この番組が必要になった。
ラヴ上等は、
答えをくれない。
教訓も、
正解も、
用意していない。
ただ、
今の夜の状態を、
そのまま映している。
流行っているのは番組じゃない。
「正しくなりすぎた夜」が、可視化されただけだ。
🌌 ラヴ上等が答えを出さない理由
この番組には、
スッキリする結論がない。
誰が正しかったのか。
どの関係が成功だったのか。
何を学ぶべきだったのか。
それらは、
ほとんど提示されない。
でもそれは、
不親切だからじゃない。
いまの夜に、
簡単な答えを置くと、
また正しさだけが残ってしまうからだ。
ラヴ上等は、
夜を解決しない。
ただ、
「この夜は、どんな状態だったか」
それだけを、
静かに浮かび上がらせる。
🔗 あわせて読みたい|ラヴ上等が映した「4つの夜」
『ラヴ上等』は、
ひとつの感想で終わる番組じゃない。
観ている夜。
観終わった翌日。
観ないと判断した夜。
そして、なぜそんな夜が増えたのか。
それぞれの時間で、
この番組の意味は、少しずつ変わっていく。
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ラヴ上等|優しくない夜に、それでも向き合ってしまった人たち
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ラヴ上等を観た翌朝、正しい距離感が少し信用できなくなった
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ラヴ上等は、すべての夜に向いているわけじゃない
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なぜ今、ラヴ上等が流行ってしまったのか──正しくなりすぎた夜の話
体験として揺れ、
余韻として残り、
選択として迷い、
最後に、時代の空気として腑に落ちる。
この往復そのものが、
『ラヴ上等』という作品の正体だ。
🌙 まとめ──この番組は、夜の体調計だ
ラヴ上等を観て、
しんどかった人もいる。
無理だと感じた人もいる。
それは失敗じゃない。
自分の夜の状態を、
ちゃんと感じ取れたということだ。
この番組は、
恋愛を教えない。
でも、
今の自分が、
どれくらい感情を受け取れるかは、
はっきり教えてくれる。
ラヴ上等が流行った理由は、
その残酷な正直さにある。
僕らはもう、
正しさだけでは眠れない夜を、
抱えてしまった。
── 黒川 煌
📚 情報ソース・免責
本記事は、Netflix配信番組『ラヴ上等』を鑑賞した筆者の体験と、
現代の視聴環境・夜の過ごし方に関する考察をもとに執筆しています。
作品の受け取り方や評価は、個人の感情や状況によって異なります。



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