ラヴ上等を観た翌朝、正しい距離感が少し信用できなくなった

レビュー&考察

ラヴ上等を観た翌朝、正しい距離感が少し信用できなくなった

🌤 翌朝、世界は同じ顔をしていた

『ラヴ上等』を観終えた夜、
僕はすぐに眠れたわけじゃない。

大きな感動があったわけでも、
怒りで眠れなかったわけでもない。

ただ、
頭のどこかが起きたままだった。

画面を閉じても、
誰かの言葉や沈黙が、
きれいに片づかないまま残っていた。

翌朝、目覚ましで起きて、
歯を磨き、コーヒーを淹れる。

窓の外も、電車の混み具合も、
スマホに並ぶ通知も、昨日と同じだ。

世界は何も変わっていない。
でも、
心の内側だけが少し違っていた。

🗒️ 黒川コメント

作品の余韻って、
「感動」よりも先に、
日常の“判断”に触ってくることがある。
『ラヴ上等』はまさに、そのタイプだった。

📝 指が止まったのは「正しい言葉」の前だった

LINEの下書き欄を開いたとき、
僕は一瞬、指を止めた。

いつもなら迷いなく選んでいた言葉が、
その朝は、少しだけ軽く見えた。

「今はやめておいたほうがいい」
「距離を保つのが大人だ」
「余計なことは言わないほうがいい」

全部、正しい。
合理的で、傷つきにくい。

でも、
本当にそれだけでよかったんだろうか
という問いが、消えなかった。

『ラヴ上等』は、翌朝になってから、
この問いを静かに育て始める。

⏳ この番組は「夜」よりも「翌日」に効いてくる

『ラヴ上等』は、
観ている間に答えをくれない。

誰が正しくて、誰が間違っているか。
どの選択が正解で、どれが失敗か。
そんな回収を、あまりしてくれない。

だから視聴中は、
感情が宙ぶらりんのまま、
時間だけが進んでいく。

でも翌日、
自分の生活に戻った瞬間に、
番組が残した“未整理の感情”が顔を出す。

判断の前にある感情。
言い切る前の迷い。
逃げる前の本音。

あの番組が渡してくるのは、
そういう「一歩手前」なんだと思う。

🌫 引かなかった人たちを見た翌日、僕は「引くこと」に慣れすぎていたと知る

参加者たちは、荒い。
強引で、危うく見える瞬間もある。

でも、翌日に残るのはその荒さじゃない。

残るのは、
引かなかったという事実だ。

気まずくなっても顔を合わせる。
言い過ぎたあとでも、空気ごと引き受ける。
「なかったこと」にしない。

美談ではないし、得もしない。
むしろ損をしている場面だってある。

でも、その損を引き受ける姿勢が、
翌日の僕の胸の奥を、少しだけ叩いた。

🗒️ 黒川コメント

僕らはいつの間にか、
「引くこと」を成熟だと思い込んできた。
でも本当は、
引いた瞬間にしか死なない感情もある。

🧊 正しい距離感は、ときどき感情を殺す

「適切な距離感」って言葉は、便利だ。
大人っぽいし、賢く聞こえるし、間違いも起きにくい。

干渉しない。踏み込みすぎない。
相手の領域を尊重する。

もちろん大切だ。
それで救われた関係も、僕には確かにある。

でも『ラヴ上等』を観た翌朝、
その言葉が、少しだけ空虚に感じられた。

距離を保つことで守れたものの裏で、
伝えられなかった熱や、
差し出せなかった本音が、
静かに消えていった気がした。

🧠 「大人の恋愛」が上手くなりすぎた結果

僕らは、恋愛においても
「大人であること」を求められるようになった。

感情をぶつけない。
相手を追い詰めない。
自分の機嫌は自分で取る。

それは成熟だし、
社会で生きるためには必要な技術でもある。

でも、『ラヴ上等』を観た翌朝、
ふと思った。

その成熟は、本音を出さないことと、
紙一重になっていないだろうか。

大人になるにつれて、
「言わない理由」はいくらでも増える。
でも、「言わなかった結果」について、
僕らはあまり考えなくなった。

『ラヴ上等』は、
その置き去りにしてきた結果を、
無理やり連れてくる番組だ。

🧭 MCの言葉が、翌日に蘇る理由

翌日になって思い出すのは、
参加者の名言よりも、
スタジオでの一言だったりする。

永野の拒否。
MEGUMIの翻訳。
AK-69の通訳。

あれは盛り上げのためじゃない。
視聴者が、自分の感情を断罪しないための補助線だ。

「怖い」と感じた自分も、
「分かる」と感じた自分も、
どちらも否定しないで済むように。

🗒️ 黒川コメント

『ラヴ上等』は、
視聴者に“正解の席”を用意しない。
その代わりMCが、
座ってもいい場所をいくつか差し出してくれる。

🌐 この番組が“自分の話”に見えてしまう理由

『ラヴ上等』を観ていて不思議なのは、
参加者たちの人生が、
そこまで自分と重なっているわけじゃないのに、
なぜか「自分の話」をされている気がしてしまうことだ。

年齢も、環境も、文化も違う。
それなのに、
感情が動くポイントだけは、驚くほど似ている。

引くべきか、踏み込むべきか。
謝るべきか、黙るべきか。
強く出るべきか、弱さを見せるべきか。

そういう判断の分かれ目は、
どんな人生を生きてきた人にも、必ず存在する。

『ラヴ上等』は、
その分かれ目を、
編集で曖昧にしない。

だから視聴者は、
他人の選択を見ているはずなのに、
自分がこれまでに選ばなかった道まで、
一緒に思い出してしまう。

🕰 翌日に残るのは「後悔」じゃなく、選ばなかった可能性

この番組は、
「こうすればよかった」という後悔に回収されにくい。

残るのは、もっと静かなものだ。

選ばなかった可能性
送らなかった言葉。
踏み込まなかった一歩。
正しい判断に隠してしまった本音。

それらが、翌日の生活の中で、
ふと輪郭を持つ。

コンビニの明かりの下で。
駅のホームで。
何気ない文章を打つ指先で。

その瞬間、
僕は久しぶりに、自分の恋愛の癖を思い出す。

🌘 もし、あの夜に戻れるなら

もし、
あの夜に戻れるとしたら。

送らなかったメッセージ。
飲み込んだ言葉。
正しいと思って選んだ沈黙。

それらを、
今さらやり直したいわけじゃない。

ただ、
「あのとき、自分は確かに迷っていた」
という事実だけを、
なかったことにしないでいたい。

『ラヴ上等』が残したのは、
後悔じゃない。

迷っていた自分を、
ちゃんと覚えていようとする感覚
だ。

🔗 あわせて読みたい|ラヴ上等を観た「夜」の記録

この番組を観ている最中、
息苦しさや居心地の悪さを感じたなら、
その感覚は、翌朝になって突然生まれたものじゃない。

前夜、
画面の前で感じていた違和感や、
目を逸らしたくなった瞬間が、
静かに形を変えて残っているだけだ。

夜に起きた感情と、
翌日に残った違和感。
その二つを行き来してはじめて、
『ラヴ上等』という体験は完成する。

🌙 まとめ──世界は同じ。でも、少しだけ違う

『ラヴ上等』を観た翌日、
世界は何も変わらない。

仕事も、人間関係も、日常も、そのままだ。

でも、正しい言葉を選ぼうとした瞬間、
一拍だけ立ち止まる自分がいる。

その一拍が、
僕にとっては十分だった。

作品が人生を変えるなんて、簡単に言えない。
でも、
人生の“判断の温度”が一度だけ揺れたことは、確かに残った。

── 黒川 煌

📚 情報ソース・免責

本記事は、Netflix配信番組『ラヴ上等』を鑑賞した筆者の主観的体験と考察に基づいて執筆しています。
作品の評価や解釈は個人の感じ方によって異なります。
本記事は特定の見解や行動を推奨するものではなく、視聴体験を深めるための一つの視点として提示するものです。

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