1月11日。気づいたら削られていた──何もしていないのに疲れる夜

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1月11日。気づいたら削られていた──何もしていないのに疲れる夜

🌘 1月11日は「疲れた」と言いづらい日

1月11日は、不思議と「疲れた」と言いづらい日だ。
大きなトラブルがあったわけでもない。
締切に追われた記憶も、怒鳴られた覚えもない。

それでも夜になると、身体の奥に、確実な重さが残っている。
何かをやり切った感覚もないのに、
もうこれ以上は気力を使いたくない、という感触だけがある。

この疲れは、説明が難しい。
誰かに話そうとすると、
「でも、何もしてないよね」と自分で打ち消してしまう。

僕自身、何度もそうやって誤魔化してきた。
理由がはっきりしない疲れは、
存在しないものとして扱われやすい。

でも1月11日の消耗は、
出来事ではなく、時間そのものに削られていく疲れだ。
一日一日、気づかれない速度で、確実に。

だから今日は、無理に元気なふりをしない。
この「理由のない疲れ」を、
ちゃんとここに置いておくことから始めたい。

🕰 何もしていないのに、削られていく感覚

一日を振り返っても、思い出せるのは細かいことばかりだ。
返信したメッセージ。
終わらせただけの作業。
流れていった時間。

それでも、神経は確実に使われている。
言葉を選ぶこと。
空気を読むこと。
「ちゃんとしている人」に見えるように振る舞うこと。

1月に入ってから、ずっと続いているその緊張が、
1月11日あたりで、静かに表に出てくる。

派手な疲労ではない。
寝不足とも、肉体労働とも違う。
でも、このまま放っておくと、確実に溜まっていく種類のものだ。

僕はこの段階の疲れがいちばん厄介だと思っている。
休めばすぐ回復するわけでもない。
かといって、声高に助けを求めるほどでもない。

だから今日は、何かを足さない。
これ以上削られない時間を、意識的に確保する
1月11日に必要なのは、それだけだ。

🎬 あるドラマが、疲労の正体をほどいてくれた

そんな夜に、僕はよく『深夜食堂』を思い出す。
派手な展開も、感情を煽る音楽もない。
夜遅くに開く小さな店で、人が来て、食べて、帰っていくだけの物語だ。

このドラマが不思議なのは、
人生を良くしようとしないところにある。
視聴者に「立ち直れ」とも「頑張れ」とも言わない。

ただ、「今日はここに座っていい」と、
ごく小さな声で言っているように見える。

1月11日の疲れは、
誰かに叱咤されるほど怠けているわけでも、
励まされるほど落ち込んでいるわけでもない。

『深夜食堂』の登場人物たちも、だいたいそんな感じだ。
自分の状況をうまく説明できない。
結論を出さないまま、黙って食べて帰る。

その姿を見ていると、
説明できない疲れを、説明しなくていい気がしてくる。

🎬 今日、この消耗にいちばん近い作品

もし今夜、何かを流すなら。
感情を大きく動かす作品や、
前向きなメッセージが強い物語は選ばなくていい。

『深夜食堂』は、回復のための処方箋じゃない。
でも、消耗した状態を否定しない。

一話が短く、途中で集中が切れても置いていかれない。
寝落ちしても、悔しくならない。
「ちゃんと観なきゃ」と思わせない距離感がある。

1月11日の夜には、それくらいがちょうどいい。
元気にならなくてもいい。
今日を、今日のまま終わらせられれば十分だ。

🍲 作品について──「何も解決しない夜」に座れる場所

1月11日の夜、僕はだいたい静かだ。
元気がない、というほどでもない。
ただ、何かを足す気力がない。
そんなとき、ふと思い出すのが『深夜食堂』だ。

この作品を観るとき、僕は「観よう」とはあまり思っていない。
流す、という言葉のほうが近い。
音量を下げ、照明を落とし、
コーヒーが冷めていくのを気にしながら、画面の端にあの食堂を置く。

『深夜食堂』には、解決がない。
人生が好転するわけでも、問題が片づくわけでもない。
誰かの話は途中で終わり、
「それで?」と思うところで、静かに店が閉まる。

でも、その中途半端さが、1月11日にはありがたい。
この日の疲れは、説明できない。
説明しようとすると、かえって嘘っぽくなる。

登場人物たちは、だいたい説明が下手だ。
自分の気持ちを、きれいな言葉にしない。
言い切らないまま、箸を動かし、黙って帰っていく。

それを見ていると、
「わからないままでいい」という感覚が戻ってくる。
今日の疲れに名前をつけなくていい。
原因を探さなくていい。

観終わったあと、何かが変わるわけじゃない。
明日が楽になる保証もない。
それでも、今夜をやり過ごせたという感覚だけが、静かに残る。

1月11日。
何もしていないのに疲れている夜。
そんな日に必要なのは、答えじゃない。
一緒に黙っていられる時間だ。

『深夜食堂』は、そのための席を、今日も変わらず空けている。

🛋 消耗した日は、何かを得なくていい

疲れた日に、意味や学びを求めなくていい。
そこから何かを持ち帰ろうとすると、
かえって疲れが深くなることもある。

1月11日は、そういう日だ。
うまくやれなかった自分を評価し直す必要もない。
反省もしなくていい。

今日は、これ以上壊れなかった。
それだけで、十分な一日だと思う。

消耗を認めることは、弱さじゃない。
ちゃんと時間を生きた証拠だ。

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今日の体力にいちばん近いものから、無理なく読んでみてください。

🌙 まとめ──削られたまま、夜を終えていい

1月11日は、回復の入口ではない。
むしろ、疲れに気づくための日だ。

何もしていないのに疲れているなら、
それは気のせいじゃない。

今夜は、削られたままでいい。
その状態で、眠っていい。

── 黒川 煌

📚 補足・免責

※本記事はNetflix配信作品を題材に、映像批評家・黒川 煌の視点で構成しています。
※配信状況は地域・時期により変更される場合があります。

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